ご無沙汰しております。
ずっと書きたかったblogをようやく書ける。
引っ越しをして新しい生活を始めて約1ヶ月。
作曲に至るルーティンが少しずつ確立してきて、
環境が整い始めた感じがします。
以前、Liquid note recordsのカタログに寄稿したコラムにも書いたように、
朝、目が覚めて、
湯を沸かし、カーテンを開けて、風が入る。
ゆっくりと珈琲を淹れて、心が音楽に向かう。
改めて想うのは、自分の音楽は心のゆとりがとても大切だということ。
ゆとりと言ってもそれは隙間や余裕ではなく、
感じる心の準備をするということ。
慣れ親しんだ神泉の家は、とても居心地が良かった。
太陽に溢れ、近所付き合いもあり、
自分に必要なものだけに囲まれた生活。
きっとアルバム制作が無かったら、あのままあそこに居たのかもしれない。
いつもの景色、いつもの時間に音を付けていくのは、
一つの作品の中では良いのだけれど、
新しい世界を見たくなったら、今の世界に物足りなさを覚えてしまう。
「いつもの日常」
それがたぶん僕の音楽なのに、「いつもと同じ」になっては駄目なのだ。
とあることがきっかけで、新しい生活を始め、
音楽にもっと向き合える環境を手に入れたのだから、
きっとこれから納得出来るまで、のめり込むように創るのだろう。
人生は有限だから、あといくつの作品を残せるのだろう?と、最近はふと考える。
もちろん数ではないけど、自分が思う最高の作品に至には、
いくつもの失敗が必要だと思ってる。
今、ロンドンで毎日熱く行われているオリンピックを見ていれば、
たった数秒、たった数分の一度きりのチャンスに4年間を懸けて戦うスポーツマンに、
尊敬の念を抱かずにはいられない。
柔道も体操も水泳も、30歳を過ぎれば「もう歳だ」と言われてしまう。
目に見える有限と戦いながら、
隣に居るライバルたちとも戦う。
その環境だからこそ、彼らは毎日を必死に、無駄にすること無く、
すべてをそれに費やし、努力し、自分を追い込むことが出来るのだろう。
本来なら音楽家も芸術家もそうであれば、
どうでもいい作品など無駄にYoutubeやSoundcloudに発信しないはずだ。
誰でもいつでも発信出来て、無駄な音楽データを垂れ流し、
リスナーに「音楽なんてどこにでもあるじゃん」「最近良いの無い」と言われるのは作家の責任だと思う。
たった数回のチャンスしかないスポーツから見れば、
一つの発信にもう少し魂を込めるべきではないだろうか?
と、自戒を含め言ってみる。
新しい生活は、そんな厳しさも持って、
作品に魂を込める準備が整ったと言うべきだろう。
あとは自分次第。
やるしかないよ。
ここで生む。
ひょえー、もう9ヶ月かぁ〜♪ 早いねぇ。
どんどん成長して、どんどん冒険するんだろうね。
そのうち、お話して、考えて、愛したりしちゃったりするんだろうねぇ。
俺ももっと育ちたいわw。
キラーン。アローハっっ!
あれ?引っ越し先がカウアイ島じゃないのは なんで?
ともかく 引っ越しおめでとう。引っ越しソバでも一緒に食べたいです。
息子の五Kalaleaも早9ヶ月。今日はいつも家の中のテントで目覚めたらウワーンって泣くのに
ひとりでハイハイして私がいる外のポーチまで来た!感動したよ!めっちゃ成長してる!もうすぐ歩きそうだな。
no.9の新しい音楽しみにしています。キラーン。アローハっ!