自伝

昨日無事に[ Breath in Silence ]をリリース出来、
ホッとしたのもつかの間。

作品を出すと当然結果も出てしまうという怖さがある。
良い意見もあれば、悪い意見もあるのは当たり前だ。

それは当然受け入れるとして、
先日、大切な友人から城さんの自伝を出しませんか?というお話をいただいた。

まだ何も成し遂げていないのに、自伝とはお笑い様だと思いつつ、
その友人は本を出す事それ自体を事業にしようとがんばっているので、
大して考えもせず、協力することにした。

自分の生まれ育った環境から子供時代、そして青春時代から自立し、
音楽家になるに至る経緯をつらつらと話してみた。

それでも話せる事、話せない事もある。
自分で言うのもなんだけど、それなりにドラマチックなことが多く、
事実は小説よりも奇なりとはよく言ったものだなと思う。

それから数日。

記事の草案を見た時に、僕が感じたのはまぎれもなく恐怖だった。

僕に人を傷つける気がなくても、
若い頃は現状に対する不満や比較、コンプレックスなんかを糧に成長したり、挫折したりする。

でもそれを
もし家族が見たらどう思うだろう?
古い友人や昔付き合っていた人が見たらどう思うだろう?
僕を全く知らない人が見るのと、そうで無い人が見るのは全然違う。

ましてや僕は音楽家という性質上、
内面的な部分での出来事が大きな成長要素としてある。

嬉しい事も楽しい事も、傷ついた事も悲しい事も、すべて音楽に変換してきて、
人生が深くなるにつれ、音楽もより表情豊かになっていった。

それらの過去を書かずして、今の自分の音楽を語る事は出来ない。

そんなことを想いながら、
読み終えた草案に、僕の答えは「表に出してはいけない」という答えだった。

そもそもそのために音楽を世の中に出しているというのに、
活字にしてしまってどうする?

だったら歌詞のある歌を出せばいい。
歌の無い音楽を出すという事は、聞く人が自分の人生経験や環境にリンクしやすいからではないか。

僕は音楽を、ある限られたイメージで伝えないようにしている。
数少ない情報として、ジャケットとアルバムタイトルと曲名だけを綿密に考えて、
リスナーが自由にイメージ出来る事が理想的だ。

自分が軽々しく受けてしまったことへの罪悪感と、
友人の努力と事業へのご迷惑を考えても、
やはりこれを一般的にアウトプットするわけにはいかなかったのです。

記事はとてもよく出来ていて、文字を起こすだけでも大変だったと容易に想像出来るだけに、
本当に申し訳ない気持ちで一杯。

生きているうちに自伝や暴露本を出す人の気が知れないと改めて思いました。

それよりも何よりも、
まずは自分自身が何かを成し遂げ、
誰かが語り継いでも、それが気持ちの良いものである人生を、今後歩まねばならない。

人の生きる道。
それが全ての人にあり、人の数だけ物語があるという凄さを改めて想う。

そんな出来事でした。

関係者の皆様に心からの感謝と謝罪を。

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